気持ちを吐き出す練習帳

病弱主婦が日々考えていること

繊細で単純なこころ

今日は、病院に行って、駅ビルで買い物をした。
なぜか、たくさん人に見られた気がする。なぜだろう。
いつもの病院の受付のお姉さんに、待合室でチラチラ見られてたような。
お店で気になる商品に値札がなくて声をかけた店員さんも、変な顔をしていた気がする。
被害妄想だろうか、病気(注察妄想)…、ではないと思うけれど。

目が血走っていたからだろうか。
冬になると乾燥のためか、目が充血する。アレルギー性結膜炎と言われたこともある。

服装がダサかったからだろうか。
今日の格好、ベージュのダウン、丈は短い。無印のボーイフレンドデニム。
赤系のチェックのストール。足元は黒のnew balance
髪は数日前にパーマをかけた。ワックスなどつけていないからちょっとボサボサだ。
まだそこまで寒くないのにダウン。着ぶくれて見える、しかも前はしめていた。
デニムも中途半端に余裕があって太ももがブカブカして、ショッピング中、鏡に映った姿は、たしかに垢抜けない学生のようだった。
人が少ない時間帯、眼鏡屋の店員のおじさんに、歩く姿を目で追われていた。

もしかして、霊がついているのかもしれない。
霊感のある人に見てもらいたいような、見てもらいたくないような…

まさか、盗撮された写真が流出したとか?
「○○駅によくいる、□□□(なんか悪口)な女」みたいなのが、
写真つきで出回っていたりして。
思わずネットとツイッター、検索してしまった。

薬局の調剤事務の人や薬剤師さんも、心なしか冷たかった。
軽く読書していこうかと入ろうとしたカフェも満席だった。
こういう日あるよね!ダメな日は何してもダメ!と思って早々に帰宅。
自転車で走ってる途中、道に落ちてたビニール袋が車輪にからまった。
やっぱり運が悪い…

スーパーの前を走って、駐車場の入り口を通ろうとした時、
整備員のおじさんの手信号を無視して車が入ってきた。私は止まって待った。
整備員のおじさんは、黙って車の後ろ姿を見送ると、「ごめんねえ…たいへんお待たせしました」と謝ってくれた。
車に強引に行かれたことさえ、不運な自分の責任だと感じていた私は、
すごくありがたかった。
おじさんの一言のおかげで、帰ってからも無性に悲しい寂しい気持ちにならずにすんだ。

単純だなあとつくづく思うけれど、
ほんのちょっとしたことで、
人は掬いあげられると思う。
人は救われると思う。

 

 

 

私がなかなかブログを書けない理由

私は、物語なりエッセイなり、書くことをライフワークにしたいと思っていて、こうしてブログも作ったのだけど、ま~~~書かないねぇ。

 

理由は3つある。

 

1つは、(読まれることを意識して)書くことって頭を使うから。

頭を使うのは疲れるから。

上記の理由で最近あんまり本も読んでいない。

図書館で10冊マックスで借りてきて、1冊も読み切れず返すこととかあるからね。読書も、書くことと同様にライフワークにしたいと思ってるのだけど、集中力が続かないし、読んでると他のことしたくてそわそわしてくる。心が不安定だったりすると、読もうと思っても文字の上を視線が上滑りするばかりで、内容が全然入ってこないし。今ほど娯楽のなかった昔は、本ばかり読んでたんだけどな…。

 

2つめは、自分の書いた文を後から読むと、下手すぎて死にたくなるから。

こんな下手な文をネットの海に流すなんて恥ずかしすぎる。書いたそばから全部消してしまいたい。文章うまい人なんて腐るほどいる。うまい!と思う文章読むと打ちのめされる。私が書く必要なんてない…という思考の結果。

 

3つめは、「書きたいこと」と「書けること」に隔たりがあるから。

パニックや抑うつや不安神経症その他もろもろを患ってからというもの、家にひきこもって自分の病状や不安や辛さについて考えることに1日の大半を費やしているおかげで、それら(病気や症状のこと、病人として考えていること)についてならいくらでも書ける。永遠に書ける。だけど、そんな暗くて生産性のない話、誰も読まされたくないやろ?と思ってしまう。

そして、私が書きたいのはそういうことじゃない。書きたくないと言うと語弊があって、むしろそういうことを吐き出す場所が必要だとはずっと感じていて、病気のことや行き場のない思いも書いていきたいと思って、このブログも作った。

でも、本当に書きたいのは、仕事で経験したことや、旅行した先で見た景色や、人との触れ合いの中で感じたこと、だったりする。なのに実際は、病気で仕事を1年以上していない、旅行どころかパニックで電車も車もろくに乗れない、人との触れ合いと言えば夜帰ってきた夫と会話するだけって日もある、と、こんな自分である。書くネタに詰まったら外に出よう!とか言うけど、したくてもできない人もいるんやで…。

 

と、なかなか書けない理由を挙げてきたけど、投げ出してるわけじゃなくて。

1つめ、頭はちゃんと使うべきだと思うし、2つめ、書くことで(+読むことで)しか文章はうまくならないこともわかっている。ちゃんと頭を使って、地道に書くことを積み重ねて、自分の思い通りに言葉を紡げるようになれたらいいなぁと思う(書くの嫌いなのに無理してやるみたいな書き方だけど、書くことは嫌いじゃない)。

3つめはね、うーん。逆に病気で引きこもりの私だからこそ書けることもあるんじゃないかとも思う。誰かに共感してもらったり、誰かの気持ちの支えになれるかもしれないから、病気のことも書いていきたいと思う。前向きな時は前向きな思いを、ネガティブな時はネガティブな思いを。治療の話もね。絶対治すぞ!って気持ちももちろんある。

そのうえで、出掛けられた時にはそのことを書いたり、ろくに出かけられなくても、花の匂いとか、近所のスーパーでのこととか、狭い行動範囲でも書けることはあるんじゃあるまいか。お題スロットで過去の思い出話を訥々と語るのもアリだろう。

 

書くのは好きだけど、もっとうまくなりたい。そのためにはとにかく書くしかない。書いたそばから消したくなるような、恥ずかしい、ゴミみたいなガラクタみたいな文章を山ほど書こう。

ぬりえを不安対策の切り札に。

塗り絵を買った。

 

大人ディズニー 素敵な塗り絵レッスンブック

新品価格
¥1,296から
(2016/11/25 20:01時点)

夫の買ったTarzanに、「自律神経を整えたければ塗り絵に没頭せよ」とあったので、もうこれは買うしかないと、満を持して。

これがすごくいい。

家事や料理と違って、やった分だけ残る、目に見えて蓄積されていくのが嬉しい。

 

朝起きた時や日中突然、胸がソワソワして、不安感に支配されそうになる時、今までは、身体が動かなくて家事もできず、かといって頭も働かないから本も読めず、ただ体育座りをしてテレビを見るか、ツイッターのタイムラインを眺めるしかなかったけど、そういう時に塗り絵をするという選択肢が増えた。

 

この間も、起きるなり朝から寂しいような不安な心持ちになったので、朝ご飯を食べながら塗り絵をした。いつも薬が効くまでが辛いけど、この日は塗るのに集中して、不安を暴走させたり、頭を過興奮させずに済んだ。ちょっと生産性があるという面も◎!

 

塗り絵と色鉛筆がダイニングテーブルに置いてあって、そのセットが視界に入るとホッとする。ちょっと具合悪くしても「ぬりえがある!」と思うと心強い。

家の中でも発作を起こしやすい不安障害の人は、塗り絵いいんじゃないかなぁと思う。